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私が構想した「頑張らない、欲張らない人生」その1

私が今から十年以上前に構想した「頑張らない、欲張らない人生」について書いてみようかと思います。

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今まで私は自分のことはあまり書いたことないのですが、ちょっと思うところあって書いてみたいと思います。

先ずは、頑張らない、欲張らない人生を思い描くことになる背景…昔話から…思いつくまま書いていきます。

昔々…

昔々…私は毎日忙しく移動して仕事をしているサラリーマンでした。業種的には半導体装置産業っていうことになります。

当時ですが今だ日本の半導体産業は斜陽気味とはいえまだまだ健在で仕事は多く、よって私も毎年年間フライト100回以上ホテル泊200泊以上という誠にクレイジーな仕事っぷりでした。もちろんアジア関係の仕事もありましたし、私の仕事の知り合いはアジアの会社にヘッドハンティングされていくような時代でした。その少し前ですと中国に行くのに1ギガに満たないUSBメモリを持ち出すためにリスト非該当証明書をいちいち書いて提出していたような時代もあったのです。

今の強大な膨張を続ける中国というモンスターを作るきっかけはベトナム戦争に辟易したアメリカが始まりですが、相乗りした日本が果たした役割は大きいですね。田中派から創政会に続く一連の流れが巨大な中国を生んだと言っても過言では無いかと思います。もちろん日本と相性側悪いドイッチュラントの強い肩入れとがあったのですけどね。ドイッチュラントはWW2以前から支那には肩入れしていますがWW2敗戦国が共に中国に肩入れしたというのはちょっと笑えますよね。アホらしくて…

COCOMとは?

対共産圏輸出統制委員会(たいきょうさんけんゆしゅつとうせいいいんかい、英語: Coordinating Committee for Multilateral Export Controls; COCOM(ココム))は、冷戦期に資本主義諸国を中心に構成された、共産主義諸国への軍事技術・戦略物資の輸出規制(或いは禁輸)のための委員会。本部はフランスのパリ。

冷戦が終結して1991年にソ連が崩壊するとCOCOMの意義が薄れたため、1994年3月に解散した。

昔日の感…

いやー今から思うと昔日の感がありますよね。そういえばこの頃は中国に入国するのにVISAを取っていたですよね…

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上海空港は上海虹橋国際空港SHAで上海浦東国際空港PVGではなかったですし、高層ビル群なんて無かった気がします。高速道路はありましたが車はそんなに走っていなかったですよね…まだ中国と言えば人民服で自転車ラッシュというような時代だったと思います。その頃も中国は計画経済でしたから高速道路からみると高層アパート群が建ち始めた頃だったですから、半年後に再度通ると更なる高層アパートが増えているような時代でした。

タイ王国は…

タイ王国の窓口はドンムアン空港でしたね、到着した飛行機からブリッジに出るとタイ匂いがしました、またドンムアン空港での車待ちはもの凄い排気ガスの中で待たされていたような気がします。その頃はまだスカイトレインの無い時でしたからスクンビット通りも陽が眩しかった思い出があります。またアジア危機以前でしたから総じてアジア通貨は高かったような思い出があります。確か一万円2500バーツというような時もあった記憶があります…記憶違いかもしれませんが…

その頃のタイはまだ水や氷で食あたりを起こすような時でしたし、まだトゥクトゥクに乗ると黒く窓ガラスを目張りしたビルで宝石を買ってくれと言われましたね。この頃はカンボジアポルポト政権でクメールルージュからタイへ宝石やチーク材が流れていた頃ですから、タイへツアーで旅行に来た日本人は必ず宝石屋に寄るのがデフォルトだったと思います。そもそもドンムアン空港だって数年前エアアジアが来るまでは中古飛行機の展示場だったんですからね…今のドンムアン空港は昔の活気を取り戻したような感じになってますね。

 

日本は…

同じ頃の日本は2000年問題があったり、オン・ザ・エッヂ堀江貴文いわゆるホリエモンが有名になったり、またマザーズ株価が下がったりした頃でした。彼の会社はいわゆるホームページをつくる会社だったのですよね…WEBデザインだけでマザーズに上場し何百億もの資産を形成し時代の風雲児になるのですからね…なんか今の若者が聞いたら反則やろ!って言いそうでよね…そして楽天も始まったばかりだったかと思います。もちろんスマートフォンなんてありませんし、iPhoneの発売には十年弱ほど待たねばならない時代でした。

今なお続くデフレ経済になったのもこの頃からでした…

ビザラン

深センで仕事していた時は、中国の滞在日数が切れる間際に香港に出入りして滞在日数を稼いでいました。いわゆるビザランっていうやつですね。そして仕事が長引くとパスポートの押印ページが少なくなってきてしまう外国人が続出してしまい終いには中国側がイミグレーションに出入国スタンプ用の冊子を用意してくれてあり、その冊子に出入国スタンプを捺してもらっていた記憶もあります。その後この冊子は使用不可になった記憶もありますが…どーだったですかね…記憶が曖昧で申し訳ありません。もちろん深セン側の地下鉄なんて無かったですし、深センから広州へ向かう新幹線なんて有るはずもないのです。

最近までタイとラオスで行なっていたビザランの走りみたいな感じでした。いずれにしろパスポートが真っ赤になってしまうデメリットがありましたけどね。

 

つづく…


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